プロフィール


<店主ご挨拶>

謹啓

こんにちは。ここなっつ商店の店主、木村咲子です。私が服飾で起業することになったきっかけは、5年前、27才の時でした。大病を患って、人生の方位磁石を失い、迷子になっていた私の前に、一人の老嬢が現れました。名前を生駒さんといいます。生駒さんは、病気で苦しんでいた私の話に、真摯に耳を傾けてくれ、「もう一度生きてみたい」と思わせてくれました。そして、あるアパレル輸入貿易会社の仕事を私に紹介してくれた直後、彼女は天に召されてしまったのです。私は、初めて、人が亡くなって、大泣きに泣きました。200812月、ひょんなきっかけで、「ラトビア共和国 リガ大聖堂少年合唱団」の天使の歌声を聴いた時、私は、「時は満ちた」と思いました。貿易会社を退職し、一定の準備期間を経て、このたび、高級婦人服輸入卸業を開業する運びとなりました。故生駒さんは、白百合とバラが大好きでした。私は、そんな生駒さんの遺志を継いで、美しいドレスを通じて、全ての女性を花束にすることを社是として、事業にまい進してまいります。実業家として歩み始めたばかりの私に、皆様のお引き立てと、今後のご指導ご鞭撻を賜りますようお願いして、筆を擱きます。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

謹白

*略略歴 ココナッツ商店 店主 木村 咲子1977年(昭和52年)、母親の里、鹿児島県川内(せんだい)市にて出生。その後すぐに千里ニュータウンに戻り、以降33歳の今日に至るまでほぼ一貫して千里に住んでいる。小学校1~2年生時、父親の仕事の都合で、東京は世田谷区に在住した経験あり。幼少期より、「本の虫」であり、幼稚園、小学校、中学校、から大学まで、常に何らかの本を読んでいる。生粋の千里ッ子である。南丘小学校→豊中市立第九中学校→大阪府立豊中高等学校→関西大学法学部法律学科卒。図書館司書の資格を持つ。TOEICスコアは790点で、何とかビジネス上で意思疎通が図れる程度。音楽、特にハードロック音楽が大好きで、大学時代は、軽音楽部でロックバンドのキーボーディストを務めており、一時期、あるライブハウスの専属セミプロミュージシャンにならないかと誘われたことがある。クイーンやディープパープル、ボン・ジョヴィなどのロック音楽をプレイしていた。月に一度は何らかのライブ活動をしていた。心斎橋にある有名なクラブクアトロでも演奏経験あり。また同時に、映画研究部にも所属し、監督や脚本、女優や記録係など、何でもこなしていた。大学時代は、マスコミ(新聞記者)志望であったが、残念ながら縁がなく、卒業後、アルバイトをしながら、図書館司書の資格を取って、本に携わる司書になろうと思ったが、一応正社員で働いた経験が欲しくて、「法学部卒業で、ある程度英語ができる方」という募集に引かれて、ある特許事務所に応募し、採用された。2002年当時、日本は、小泉内閣のもと、「知的財産立国」の掛け声のもとに外国へ日本の技術の特許出願が急激に増えた時期であり、世界に800人しかスペシャリストのいない、「PCT出願」という外国出願の形式のチームリーダーとして、馬車馬のように働いていた。性格の特徴としては、とにかく、「興味を持ったらまずやってみる、やってから考える」タイプである。

 

・好きな本  →  

ジョン・ル・カレ著『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』

 

・好きな音楽 →  

ジャニス・ジョプリン、クイーン、カーティス・メイフィールドなど

 

・好きな俳優 →  市川海老蔵さん。

 

・生涯の映画1本 → 『ロード・オブ・ザ・リング3部作』

 

 

<NPO法人ひまわりの活動> 

・ひまわりの事業所本拠地は、兵庫県である。

・創立者は、介護福祉に携わる方。創立者の方は、色々な仕掛けをひまわりで実行しておられ、「引きこもりの若者の現状を、当事者自身が語る」イベントや、「神戸の芸術家(書、画、草木染め作家)を一堂に会した芸術祭」などを仕掛けられている。私は、中でも特に、語学を活かした活動を任される形で、「国際交流室 コーディネーター」という箱と肩書きをもらい、この箱で、日本とラトヴィア共和国の交流イベント(7月19日の”ラトヴィアからの風@コラボ多目的ホール(非営利目的のラトヴィアグッズ展示会)“や、ラトヴィア民謡教室、ラトヴィアランチ会を企画、実行している。

 

<ココナッツ商店の話> 

創業から現在に至るまでの経緯は、以下のバイオグラフィに随所に現れます。

 

<バイオグラフィ> 

☆昭和52年5月27日・・・・・母の実家の鹿児島にて出生。

 

☆昭和54年頃~小学校入学まで・・・

新千里西町にある、みくま幼稚園に通う。

この頃からずっと園長さんと図書館にこもっていた。

 

☆昭和56年4月~昭和57年まで・・・・東京は世田谷の、

赤堤小学校というところに入学。当時から、世田谷には大邸宅が多く、

私は社宅マンションに住んでいたが、家にエレベーターのある子がいっぱいいた。が、まだこの頃、世田谷は西東京の田舎で、「四谷軒牧場」という、

肉牛放牧場があった。

私は、学校へ行くふりをして、そこで終日牛とたわむれたり、

一人かくれんぼをして遊んでいた。よって、私の東京の思い出は、

「都会」でなく、「牧場、牛」である(笑)。

 

☆昭和57年~平成?年・・・新千里南町に住み、南丘小学校に通っていた。とにかく運動音痴で、身体も弱く、休み時間などもずーっと図書室で本を読んでいた。小2で既に「里見八犬伝」を読破。

 

☆平成2年4月・・・豊中市立第九中学校入学。14歳(1991年9月)のとき、旧ソ連から、バルト三国が独立。このニュース映像その様子をテレビで見て、衝撃を受けた。ソ連の大砲、戦車の前に、200万人のバルトの若者が、手をつないで「人間の鎖」を作り、自国の独立を獲得した。

その民族アイデンティティの高さに感銘を受けると同時に、その勇気に驚いた。その独立運動の中心となっていた国が、「ラトヴィア共和国」という国だったので以降その名をずっと心に留めることになる。   

 

  ☆平成5年4月高校入学・・・

  豊中高校では、陸上部に所属。

  典型的な文学少女だったのに、なぜか友人に誘われ

  バリバリの体育会系のクラブに入ったのは、生来の

   「あまのじゃく」気質ゆえかも知れない

 

  

☆  ☆平成8年4月大学入学・・・関西大学法学部法律学科入学。

  新聞記者を志望し、毎日のニュースに目や耳を開くかと

  思いきや、軽音楽部でのロックバンド活動や、

   映画研究部でのシナリオ構想に明け暮れる毎日。

   しかし、これまで生きてきた中で最も自分が解放

   された時期でもあった。

 

☆  ☆平成12年大学卒業・・・

     史上最低の有効求人倍率の中、大卒フリーター

     になる。フリーターをしながら、図書館司書の資格を     

     とって、司書として働こうと思っていた。

 

      ☆平成14年4月・・・司書としての採用の口も決まってい              いたが、ひょんなことから、当時から、            知的財産立国が叫ばれていた

         渦中の特許事務所にて、外国出願担当者として

        バリバリ馬車馬のように働いた。

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  ☆平成18年7月・・・過労と過剰飲酒(2日でウォッカ2本!)ですい臓炎となり、倒れる。仕事も辞め、人生最大のピンチに!

   

*このとき、人の紹介で、ある一人の70代の独身女性と知り合い、人生について色々な悩みを打ち明け、「わが人生最悪のとき」を救ってもらう。この女性が、「ずっと独身で、働き続け」、「当時珍しかった、女性ながらに自分のマンションを自己資金オンリーで購入していた」ことが、私にとっての憧れとなった。その女性は、キャリアウーマンの走りながら、決して女性らしさを忘れず、しとやかな女性で、百合と薔薇が好きであった。

病気が平癒したとき、会社を辞めてしまっていたので再就職について困っていると、彼女は、ある米国カジュアルアパレルの輸入貿易会社を紹介してくれて、私はそこで働くことになった。後でわかったのだが、彼女は、私の履歴書を、知人に投函した日に、心筋梗塞で、眠るように亡くなったのだった。アパレル輸入貿易会社で働きながら私は、彼女が私にしてくれたように、「働く女性、悩める女性に寄り添って、」「美しいファッションを通じて女性を輝かせ、さらに女性の社会的地位の向上に努めることで、亡くなったその命の恩人の女性に報いることにしようと思った」ことが、ココナッツ商店創業の動機です。

 

  ☆平成20年12月~平成21年の6月位まで・・・

   日本ではまだ珍しい「営業代行」という、フルコミッションの仕事で、(既に独立して会社を経営したいという欲求があったため、その修行のため)営業のイロハを学ぶ。それまでデスクワーク者だったので、この転換はなかなかしんどかった。しかし、今日の創業後の人脈は、この時期にほとんど構築された。中国語教室、簡易型喫煙BOXなど、どうやったらモノが売れるか、をずっと考える訓練をした。その営業活動の中で、「NPO法人ひまわり」の創立者と知り合い、私が語学が出来、将来ラトヴィアと貿易をしたり、文化交流をしたりしたいといった希望に耳を傾けてくれて、「国際交流室 コーディネーター」の箱と肩書きをもらった。

 

☆平成21年8月31日・・・・吹田の税務署に、竹見台の自宅を事業所として登録。本格的にココナッツ商店を創業した。

 

   

☆平成

    ☆平成21年10月1日~12月末まで、新大阪センイシティ40周年記念事業「バリバリ村プロジェクト」コンペティションに通過し、3か月賃料無料で実店舗運営を経験した。

 

☆ ☆平成22年~現在・・・インターネットショップ

   『ココナッツ商店 on the WEB』と、

  週末や平日の主にランチの時間帯に、リビングを

  ブティックサロン風にディスプレイし、

  「リビングサロン」にて、ネット+リアルで営業をしている。

  その他、ラトヴィアの文化を千里から発信するため、

  

  「NPO法人ひまわり 国際交流室」の箱で、

   ラトヴィア民謡教室、ラトヴィアランチ会などを企画、実行中。

 バイオグラフィ以上。

 

 

 

 

 

 

 

“Natalija Jansone Purple_AZZAP

本スタイルは、ナタリ・ヤンセン女史の正式なコレクションには

掲載されていません。ナタリー女史の友人でもあり、

同時にコナッツ商店のメイン取引デザイナーの

ZANETE AUZINA (ジャネテ・アウニャ)女史の

オンライストアにストックされているナタリー女史のアイテムを、

格安にしていただものです。ナタリー女史らしく、

女性の曲線美を強調しつも、右半身に放射状に走る、

アシンメトリなギャザーが 、

「ザ・ナタリ ーエレガンス」です。

生地:VISCOSE 100%

(VISCOSE=ビスコースは、レイヨンより等級の高い、

シルクのような手触りの化学繊維です。)

カラー:パープルは、

希望小売り価格:¥42 ,000 -

“Natalija Jansone Black_AZZAP

本スタイルは、ナタリ・ヤンセン女史の

正式なコレクションには掲載されていません。

ZANETE AUZINA (ジャネテ・アウ ジニャ)女史の

オンライン ストアにストックされているナタリー女史の

アイテムを、格安にしていただいたものです。

ナタリー女 史にしてはアヴァンギャルドなスタイルです。

「ブラック」という色の範囲で、

できうる限りの

「アソビ心」が縫い込まれた逸品ですね。

ロングドレスかつ、全体にアシンメトリーなギャザーが寄って、

生地もとても伸縮性が良い着心地最高の実用品です!

 

<希望小売り価格>(税込)

¥42 ,000 -